溝が及ぼしてしまった余波

私と若狭湾との間には鳥時代からの溝があり、twitterにおいてブロック関係にあった。

ギャンブラーによって盤上遊戯制作者のtwitterグループが営まれていたのだが、数カ月前に満ちたため、活性的な参加者のみ、二代目のtwitterグループに移ることとなった。満ちたtwitterグループには若狭湾は含まれていなかったのだが、ギャンブラーによって二代目の参加者のひとりとして若狭湾が招かれたため、若狭湾とブロック関係にあった私は、二代目から弾かれてしまった。

ギャンブラーは、ブロック関係にある者同士がグループで共存できない掟を知らなかったのだろうか、実験的にダミーの二代目を創造し、ダミーにおいては私を格納できることを確認した。しかし、ダミーは所詮、ダミーである。ギャンブラーは、他の活性的な先代からの参加者を二代目にすし詰めにし、ダミーを放置して、二代目のみを運用する事にした。

他方、私は盤上遊戯制作者のひとりである警部をグループに誘っていた。ギャンブラーは、私を弾いた二代目に警部を格納するのをためらった。ギャンブラーは悩んだ末、私が格納されているダミーの方に警部をすし詰めにしてしまった。即ち、私と若狭湾との間にある溝が余波として警部に押し寄せ、その結果、警部は盤上遊戯制作者のグループに合流することが出来なくなったのだ。これは、不運な流れ弾である。

昨日、私とギャンブラーとの糸電話により、上記の一連の流れが明らかになった。私は、若狭湾に対するブロックを一時的に解くことにした。若狭湾から私に仕掛けられていたブロックはすでに解除済であったので、私はギャンブラーによって二代目の中に押し込まれた。もし、警部の意向が「よろしい」であるなら、私は警部を二代目に格納しようと思うのだが、警部の意向はどのようだろうか?


2017.9.29 10:10 追記
この投稿をはやとちりしたギャンブラーは私をブロックし、私はギャンブラーによって二代目から排他されてしまいました。

もやしのめんつゆ炒め

以前、廉価に腹持ちを持続させる方法として豚肉さんに関する投稿をしたが、如何に安い豚肉さんとて、モヤシのコストパフォーマンスには圧倒的に敵わない。やはりモヤシは最高に凄いのだ。最近は豚肉さんからモヤシに切り替えている。

モヤシの調理、私は炒めることしか知らない。本当は何かと混ぜて炒めると良いのだが、昼食で追及するのはコスパだ。私はこれまで、純度100%のモヤシ炒めしか作ったことがない。

純度100%とは言うものの、味付けは行う。これまでに最も多く行った味付けは、そのへんで購入しためんつゆによる味付けだ。めんつゆは無難に幅広い調理に使える便利アイテムであると私は思っている。

フライパンにモヤシを入れ、適量のめんつゆを注ぎ、モヤシが程良くしなるまで炒める。これだけで完成、単純シンプルな料理だ。コスパを追及する際は、お試しあれ。

私の創作を転換させたミス・ヒデヨシ

私は自分自身に関して、創作したい欲が高いと思い込んでいる。楽器が弾けないにも関わらず、楽器が弾けなくても作曲できますよ的な専門学校を出たくらいだ、相当欲が高いに違いない(ビジュアルアーツ専門学校大阪には昔、コンピュータミュージック専攻というのがあった)。

MIDI(ミディ)という規格がある。楽器が弾けない人でもMIDIを利用してパソコンで作編曲できるよというものだ。MIDIシーケンサーと呼ばれるソフトがあって、楽器が弾ける人はリルタイムで入力できるし、楽器が弾けない人はコツコツと演奏情報を打ち込んでいけるようになっている。

私がMIDIで音楽に触れていたのは、もう、はるか以前のことだ。今はDAWやらボーカロイドやらが存在し、パソコンでの音楽制作は環境が変わっている。私がMIDIで作編曲していたのははるか以前なので、今の環境については詳しくない。

専門学校で音楽を学んだものの、私は音楽の方向には進まなかった。専門学校卒業後、しばらくアルバイトをした後、とあるブラック企業(?)に就職し、「二度と正社員なんかになってやるもんか!」と、いうことで派遣で転々とし、ボドゲ界隈に浸り、現在に至る。

派遣では、主にWEB系の仕事をすることが多かった。専門学校で授業中にチャットをすることにはまっていたのと、小西先生によるインターネットに関するゼミ的なものに参加していた流れだろうか、私は音楽系ではなくWEB系の人として過ごしていた。

昔のパソコンは今と比べて画面の解像度が低かったので、作成されるホームページも低い解像度に合わせた作りだった。時代はぐんぐん進んでいき、技術の進展でパソコン画面の解像度は高くなっていき、ガラケーはスマホに塗り替わっていく中で、世の中で作成されるホームページの作りも移ろいでいった。私は、”放置しているとすぐに陳腐化してしまう最新の技法”に翻弄されながら過ごしていた。

ある派遣先において私は、古い技法しか持ち合わせていないHTMLコーダーだった。その派遣先はブラック的ではあったが、その当時の主流の技法について、とても学ばせていただいた。

その派遣先に行くまでは、MIDIで打ち込みをするかのような感覚でホームページを制作していた。細かいところをツンツン突いて作るようなスタイルだった(力業を使いまくったけれど)。

派遣先で得たものは、ひとことで言えば「ざっくり振り被る」。隣の席のハマさんにはソースコードについて教えてもらったし、それよりなにより、ミス・ヒデヨシの「ざっくり感のあるデザイン」には、ホームページ制作のみならず、その後の私のボードゲーム制作にまで大きな影響を与えられた。ミス・ヒデヨシとは案件を共にすることはなかったけれども、ジャンルを超えて影響を受けたくらい、私にとって影響絶大な人物だ。

今、ミス・ヒデヨシは何をしているんだろう。彼女が望んでいたディレクターにはなれただろうか。結婚してミセスになっているんだろうか。一度、寺町を一緒にぶらぶらしたとき、中古の大きなディスプレイを即決で購入したのは、スゲーって思って驚いた。